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先日、大学の卒業式でした。





友人、知人レベルの仲だった人(笑)、友人の友人、先輩&後輩、教授&院生の方々、高校以前の同窓生、他校の友人、両親および親戚、エトセトラエトセトラ。
決して交友関係の広くない私だけどたくさんの方々にお世話になった。
そうして創られたこの4年間は、紛れもなく自分一人だけのモノではない。
みんなみんなありがとう。


入学式が震災で中止になった私たちにとって最初で最後の正式な学校行事。
肩組んだり拳振ったりしながら校歌を唄い、学位授与後にビールで乾杯し(真昼なのに)。
いつも遅刻してた人は寝坊で卒業式すっ飛ばし、書道部のあの子の袴姿にはやっぱり凛とした美しさがあって、我がゼミの教授は運動会の父親のようにカメラをパシャパシャしていて。
最後の最後までうちの学校らしい、うちららしい卒業式でした。


「社会のことが知りたいから」というすごく曖昧な理由で社会学が学べる学校・学部を選んだのに、結局1年生のときに気が変わって心理学を選びました(もちろん心理学以外の講義も取っていたけどね)。
「心理学なら今私が考えていること分かるの?」ってよく聞かれるけど、んなことない、心なんて透けて見えるもんじゃないしそんなテクなど教わってない。
この4年で学んだことを自分なりの言葉にするのならば、「裏を読む」こと。
表面を見るだけではなく、その向こう側に視線を向けること。
考えること、言葉にすること、誰かに伝えること。
楽しくても、つらくても怖くても、そうし続けること。
人でも政治でも、音楽でもマンガでもスポーツでも、それは対象が何でも同じことで、つまりは社会・文化全般が対象になりえる。
見て考えて言葉に変えて伝えて、「裏を読む」ことによって私とあなたは自らの手で世界を広げることができる。
空想のなかではなく、この現実という地面の上で、一生、冒険できる。


「手に職つけなきゃメシは食えないよ」
「文学部って何するの?本読むだけ?」
「文学部は就活で苦労するよ」


周囲はそう言う。
確かにそうかもしれない(2つ目は明らかに誤りだけど)。
でも私はこの4年間で教わった、掴み取った「生き方」に誇りを持っている。
また、小さい頃から泣き虫で、どこか気難しい性格だった自分に合った「生き方」だとも思っている。


一応うちの学部でいちばんハードな学科だから課題なんかは本当に重くてつらかったけど(特に2年のとき)、
最後の最後、卒論のための実験参加者集めは友達少ない自分にとっては簡単なことではなかったけど(約120名の方々に協力していただきました。多謝)、
結局は選ぶべくして選んだ道だったと、最後までやりきってよかったと心から思えます。
あっという間だと思っていた4年の月日が長く感じたのはきっと濃度が高かったからでしょう。
今そう思えていることはとても幸せなことだと思います。


モラトリアムが終わったね、といろいろな人に言われます。
これからきっと厳しい日々が待っているんでしょうね。
だからといってビビってもどうしようもないし、錆びた歯車じゃ自分も動かないし誰も巻き込めないから。
この4年間、いや、この22年間で得たもの・失くしたものすべて抱きしめながら、且つまだまだ手に入れること・失っていくこと、変わっていくことを恐れずに冒険していけたらいいなと思います。


世界はこの腕と頭で、切り拓くものだと信じて。



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2015.03.27 Fri (18:30) l 日常 l コメント (2) l top
成人の日ですね。
新成人のみなさま、おめでとうございます。
私たちのように豪雪のなかの成人式にならなくてよかったですね。
(「92年生まれ 悲惨」でレッツ検索☆)
人生の先輩として何か言いたいことがあるというわけでもないし、言えるような分際でもないし、だから何となく「ハタチ」というキーワードで思い出したことを、ただただ自分のことをつらつらと書いてみる。





今私は22歳なので3年前が自分たちの成人式だった。
19歳の私は「成人式のときにはまだ誰も成人してないんだな」って疑問に思った憶えがある。
だから私にとって「成人の日」は「これから(20代以降)どんな人になっていくか」ということよりも「今まで(10代まで)どんな人だったか」ということを考えるキッカケのひとつだった。

今まで、というか特に10代後半の私はとにかくパッとしなくて。
高校時代の友人なら分かると思うけど(というかそれ以外の人は知らないと思うけど)、当時の私は周囲から「ネガティヴで人見知り」だと言われ(実際にそうだったし)、もう「ネガティヴ」とか「人見知り」という単語が私のあだ名みたいになっていた時期があったほどだった。

大学に入っても「ネガティヴで人見知り」だから友達を作るのが下手。
「ネガティヴで人見知り」だから飲み会(新歓)に行きたくない、いつの間にかサークルに入るタイミングを失う。
「ネガティヴで人見知り」だからバイトの面接でも上手く喋れない。

「ネガティヴで人見知り」という自分の性格が選択肢を狭めていることは明らかだった。
だけどこれが私の性格だし、そんな簡単に変えられるものじゃないし、まあしょうがないよね~って何となく過ごす日々。
クズのようですね。

19歳の1月。成人の日。
成人式には行かなかったけど同窓会には行った。
自分がまだ純真無垢な女子だったころ仲良くしてた人。
「ネガティヴで人見知り」な私のことを理解し、甘やかし、一緒にいてくれた人。
在学同時はそんなに話さなかったけど何か今なら気が合うかも、って人。
いろんなタイプの友人たちと話をした。

そして成人式終わって少し経ったぐらいにどこかでこんな言葉を見かけた。

人の性格は、20歳でほぼ固定される

え、そうなの?
てことは、21歳になるまでなら変えられるかもしれないんだ。
……絶望するよりも先にそう思ったところで、自分のことを心のなかで笑った。
今の考え方、全然「ネガティヴ」じゃねぇええええ!!!(笑)
きっと同窓会でいろんな人と話して何かしらの刺激を受けたんだろうな。

当時から音楽ライターになりたいという明確な意志があったわけではないけど、雑誌編集にしろ、レーベルの社員にしろ、形は未確定でも私は音楽を外部の世界に発信する人(ミュージシャンではなく)になりたいとは思っていた。
「ネガティヴで人見知り」なんて取材できないし、交渉できないし、アーティスト側と向き合えないし、妨げでしかないなとはずっと思ってた。
そうだ、どうせならこの言葉の真偽を身を以て確かめてやろうじゃないか。
そうやって、19歳の冬に「ネガティヴで人見知り」を捨てる決意をした。
21歳の誕生日を迎えるその日までに、「ネガティヴで人見知り」を捨てよう。


今は22歳の冬。21歳の誕生日もとっくに過ぎて、3年が経った。
結果的に「ネガティヴで人見知り」を捨てきれたかというと、うん、微妙。
たぶん「ネガティヴ」の方はもう薄くて、自分のなかにあったハングリー精神とか頑固さとかの方が勝っている自覚はある。
で、厄介なのは「人見知り」の方だ。
未だに5人以上の人が集まる飲み会は一旦気合いを入れてからじゃないと中に入れないし、ライブ後の関係者挨拶なんて毎回吐きそうなほど緊張する。
ひとりになった瞬間にホッとしながら、それと同時に「あのときもっとこうしたかったのに~」と後悔しながら泣きたくなる。
……ここだけの話、たまに泣く。

性格なんて簡単に変えられない。
拭っても拭っても、こびりついたものはなかなか取れない。
でも「変えよう」と思って動いたこの3年間、逃げなかったこの3年間は自分にとってかけがえのないものになったと実感している。
バイトの面接もあれからすぐに受かったし、友達と呼べる人も多くはないけど確かにいるし、21歳の誕生日にライターデビューをして以降、こうしてフリーランスの立場で仕事を貰えているし。
逃げないことによって変わった世界がたくさんあった。
これからはこの「変えられない」性格とどう付き合っていくかをもっと考えていかなければいけないけど、それと同時にやっぱりこれからも「変えたい」と思いながらもがき続けるんだろうなと思う。
結局、「人の性格は、20歳でほぼ固定される」って言葉の真偽なんて関係なかったんだろうな、私にとっては。








2015.01.12 Mon (19:00) l 日常 l コメント (0) l top
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
昨年も、たくさんの方々にお世話になった年でした。
どうか今年も、何卒よろしくお願いいたします。



2014年はたくさん不甲斐ない思いをした年でした。
捨てたはずの性格がまだこびりついていたことに気づいたからです。
でもそれを捨てよう捨てようと踏ん張ってきたこの3年間は間違いなく自分の礎になったので悔いはありません。
ただめちゃくちゃ悔しいし、一生向き合わなきゃいけない自分の欠点はやっぱりそう簡単に減らないのか……と実感しました。



2015年の抱負は「エンターテインメントする」。
つまり、クオリティを向上させる、そして内側を見せない、さらに相手も自分も豊かになるような行いを。

①クオリティを向上させる
「音楽を言語化するなんて無理じゃね?」とよく言われるけどそもそもそんなことしてるつもりはないです。
「作者・奏者の気持ちなんて分かってないくせに」とよく言われるけどそんな、他人の気持ちが完璧に分かる日なんて一生訪れないと思ってます。
(そりゃ、なるたけ読み取りたいし、その努力はするべきなのは間違いないけど)
こちらの意図してない方向に読んでしまう人を責める気持ち以上に、「だけど書く」意味、「だから書く」意味ってのを発信できなかった、読み手に分からせることができなかった今の自分は未熟だなという気持ちが大きい。
全体的な質を向上させ続けるべきなのはそりゃ当たり前だけど、特にそこを今年の課題のひとつにしたい。


②内側を見せない
内側=怒り、悔しさ。
それを表に出さずに燃やしていたい、ということ。
今の私はとりあえずいろんな人を見返したいって気持ちで生きてる、というのが正直大きい。(笑)
特に、性別や年齢だけを見てああだこうだ言ってくる人は対抗したいしギャフンと言わせたいとずーっとずーっと思ってる。
(逆に、その性別や年齢、その他自分の特性を全部活かして(逆手にとって)いきたいともずーっとずーっと思ってるけど)
でも、4月には学校だって卒業するわけだし、この何クソ精神を原動力にしてるのは大人気ないかなと思う。
でもだからといってこんな性格ですから、今更心のキャパも拡大しないので(笑)、「一見」もっと軽やかな精神でいたい。大らかな人に見られたい。
4月以降、環境が変われば自然と心境も変わるのかもしれないけど、もし自然と変わらなければ自ら変わりにいかなければならないな、と。


③相手も自分も豊かになるような行いを
楽しく生きたい。それだけのこと。
単純だけど難しい。



心のなかで思うだけよりもこうして記した方が有言実行できそうな気がするので、これからの自分宛に残しておきます。



P.S. 今年はTOTALFATとともに過ごすと運気上がるらしい。(笑)


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2015.01.05 Mon (20:59) l 日常 l コメント (0) l top
今年ももうすぐ終わりますのでブログを更新。
このブログあんまり更新できませんでしたね。
反省するとともに、早速1月からは(2014年間ベストも含めて)ぼちぼち更新していければ、と思います。





2014年はいつになくあっという間に過ぎた年で。
そうだなー、自分自身としては特に大きなトピックはなかったけど、たとえば日常のなかで起きた小さなこととか、ここでキメなきゃいけないっていう重要なタイミングとな、いろいろなときに自分の性格の欠点を思い知らされた年でした。
具体的には書かないけど。(笑)
上手く対抗策とって自分と付き合っていかなきゃいけませんね。

あとあれだな、今年はありがたいことにお仕事が増えたこともあり、今までになくたくさんライヴ観たんだけど(数えたらライヴに行った日=84/365でした)、この人の未来への過程を見てみたいなー、と思えるミュージシャン/アーティスト/バンドとたくさん出逢えました。
素敵なことですね◎

来年は、どうしてるだろうか。
ちょっと今この先のことをうんうん考えてる最中で、来年のことなんて本当にひとつも想像つかないけど、後悔しない選択を常にしていきたいな。

明日からは幕張へ行きます。
仕事納め、COUNTDOWN JAPAN 14/15のクイックレポートです。
28~30日参加します。
実は去年もほんの少しだけレポ執筆したけど、ガッツリは今年が初。
頑張ります。
自分の担当アーティスト以外もたくさん観に行くぞ!楽しみ!!
因みに、夏のRIJFのときは昔の同級生が読んだよ!とやたら連絡くれたんだけど、今回はいかに。(笑)

帰ったら荷造りしなくては…。(今電車内)
ONEPIECEとかハイキューの新巻読む前に荷造りしなくては…!

では、一足早いですが、よいお年を( ´ ▽ ` )ノ







2014.12.27 Sat (17:58) l 日常 l コメント (0) l top
ディスクレビューやライヴレポートに限らず、学校の宿題やってるときや友達とラインでやりとりしてるときでも、稀に「何で自分からこんな言葉が出てきたんだろう」と思うときがある。
 
や、ウソを書いてるわけではないんだけど、自分のなかからそんな言葉が出てくることが予想外だった、という意味で。
 
そのなかでも特にその「何で?」が強かった文について、自分内考察してみようかなーと思ってひとつ持ってきました。どんっ。
 
 
懸命に何かを伝えようとする姿に胸を打たれる瞬間も、「時代を変えうるものを見てしまったんじゃないか」と静かに高揚する瞬間も、心臓を抉られるような悲しみを目の当たりにした瞬間も、「エモい」の一語で片づけられる風潮に違和感がある。人のエモーションの種類ってそんなに少なかったっけ。
 
(引用:vol.24 「Base Ball Bear 『二十九歳』レヴュー/平然と矛盾する――36℃台のノンフィクション」-YUMECO RECORDS
 
 
 
 
ということで、テーマは「エモい」という単語に対する違和感について。
2、3年ぐらい前に、
 
A「最近オススメのバンドいる?」
私「○○ってバンドです」
A「(聴いたあとに)ああいいね、エモくて」
私(???)
 
という出来事があって。エモいって何やねん。
 
そのあとに調べたのですが「エモい」という単語は辞書には載っていなくて(俗語ですし)、「エモい 意味」で検索しても一番上に出てくるものは2002年に書かれたものだしアテにならない。
で、いろいろな人と話していくうちに音楽ジャンル「エモ(emo)」の派生、もしくは英単語「emotional(感情的な)」の派生なのかなーと感じました。
まあ「エモ」の語源も「emotional」なので、原義は「emotional」だろ、ということは「感動的な・感情的な」という意味かな、と思ったのです。
 
 
 
で、これは私の馴染み深い邦楽界隈においてなのですが、いわゆる音楽ライター業で生計を立てているからも、そうではない方も、音楽に対する感想を述べるときに「エモい」という単語を使う人があまりにも多すぎるなーというのを1年ぐらい前から感じていて。
それが何だか気持ち悪くて、冒頭に引用した文章を書いたのだと思います。
 
 
 
じゃあ、なぜ気持ち悪いと感じたのか。何に対して気持ち悪いと感じたのか。
簡潔に言うと、「エモい」と言っておけば済むだろ的な「空気」です。
 
 
 
「エモい」という単語の汎用性は「ヤバい」のそれに似ていると思います。
「ヤバい」は今となっては肯定・否定問わずに用いられるようになっているので、「ヤバい」と言っておけばプラス面にしろマイナス面にしろとにかく程度がすごいんだということが一発で伝わります。
しかしその言葉の便利さゆえに、考察の打ち切りを招いてしまう恐れがあると思うんです。
自分が言い表したい事柄をまさにそのまま表してくれる単語があるならばそれを口にしてしまえばOKなわけで、「ヤバい」は適用範囲が広すぎるがゆえに、それを言ってしまえば済んでしまうのです。
 
それと同じような現象を「エモい」にも感じます。
「エモい」と言ってしまえばそれで済んでしまう。
ある音楽に感情を揺さぶられたのなら、たとえば、
 ・どの程度私の感情を揺さぶったのか
 ・なぜ私の感情を揺さぶったのか
 ・どの部分が感情を揺さぶったのか
 ・どのように感情を揺さぶったのか
といったことを考えずに終わってしまう。
つまり、考察の打ち切りを招いてしまうわけで、それが平然と行われていることが私にとっては気持ち悪い。
感動をしたものって、時間が経ってもその人の心のなかに残りえるものだと、そのくらい大切な財産になりえるものだと思うんです。
そういうものに対して「エモい」という言葉で表すことは、その対象をおざなりに扱っているように思えてならないのです。
失礼な気がします。
 
もう「エモい」とか「ヤバい」しか口から出てこないくらい興奮した状態=興奮で思考が止まった状態だからこそ言う、というケースもあると思います。
そういうときはある意味しょうがないかもしれませんが、手軽な言葉を手軽に使ってしまうのは危険かなーと思うわけです。
考えぬいたり向き合ったりする機会を自ら潰しているようで。
 
 
 
 
 
まあ私がこんなふうに言うにしても言わないにしても、言語って時代とともに変化していくもので、こんなこと言ってたら「古い」と嘲笑われるかもしれませんが。
言語学者でも研究者でもないけど、日本語を母語にするものとして、自分が「考えること」をやめさせるような言葉は使いたくないなーと思う次第です。
 
 
 
 
 
ここまで書いて調べものをしていたら、作曲家・田代智一さんとUNISON SQUARE GARDEN・田淵智也さんのPodcastでこの辺について語っている回がありました。
参考にリンク貼っておきます。
 
たっちレディオ:第40回 ことばの賞味期限についての回
 
 
序盤の方ですね。ここで言っている「思考の停止」が私の書いた「考察の打ち切り」とイコールだと思います。


 
2014.10.06 Mon (18:54) l 日常 l コメント (0) l top